魂のことを考える

魂のことを考える 短い毎日

昼ごはんを食べているとき
ふと、思った。

「私が絵描きになってあげたら、私の魂は喜んでくれるかもしれない」

なんで「なってあげる」のか、自分と自分の魂はそんなに距離があって
はかばかしい意思疎通ができていないのか、わからない。
でも、この考えは気に入った。

私は自分の魂を自分だと思っていない。
よくわからないものだと思っている。
でも、喜んでくれるのなら、なってあげたい。
親孝行したい子供のような気持ちだ。

最近見ている動画では、「イラストレーターは名乗ったその日からイラストレーターになれる」
絵なんか描けなくても、イラストレーターと名乗ることはできると言ってる。
イラストレーターに資格らしい資格がないからだそうだ。
それはたしかに、その通り。

でも、ただ名乗るだけじゃ、さすがに喜べない。
仕事として稼げないと。


けど「売れない」をイラストレーターにくっつけると、なれそうな気がする。
売ってる(けど売れない)状況を作ればいいんだと考えた。
そいう状況を作るには、ストックイラストに参加するのはどうだろう?

よく宣伝に出てくるココナラは敷居が高い。
ああいうお客さんのニーズに合わせる仕事は私にはできない(と思う)

お金をいただかないのなら、できる。

私はご依頼があれば、誰かのワンちゃんでもネコちゃんでも、
トリでもカメでもバッタでも描くつもり。
かわいいバッタが描けるかどうかはわからないけれど
私でいいと言ってくれれば喜んで描くつもり。

今、デジタルを一生懸命やっていて、もう少しまともに描けるようになったら
どんなご依頼もお引き受けしようと決めてる。

この3月3日に、友達がなくなった。

こんな事が起こるとは夢にも思ってなかったから
彼女が2月に「ヒデキを描いて」と言ったとき
私は簡単にオッケーして
「でも、もうちょっと練習させて」と言ってしまった。
「少々練習したって上手くはならないから
ある程度で一度描いてみるね」そんな事も付け加えた。

自分の頭では、3月になったら一度描いてみようと思ってた。

人を描くのは難しくて
私は動物はよく描いたけど、人はそんなに描いたことがなくて
デジタルでたまたま人を描いた動画がかっこよくて、
人を描きだしたばっかりだったから

ヒデキ(西城秀樹さんのことね)と言われても
実力的に描けない・・・
今も描けない

でも、亡くなってしまうなんて

もう下手なヒデキもやや上手なヒデキも見てもらえないなんて

こんなことなら、ド下手でも描いて見てもらっておいたほうが良かった(のかもしれない)
生きている間に見てもらえたら、どんなぶざまなヒデキであろうと
きっと良かったに違いないと今更悔やんでも
もうどうしようもない。

でも、これからは彼女は魂で私の描くどんな絵も見てくれるような気がする。

いや、きっと見てくれると思う・・・
魂で見てもらう以外に、もう手がないんだから・・・

「私、ポツポツ、ヒデキも描くからね」これも決めてる。

自分のブログに描いたヒデキさんを載せようかどうしようか迷ってる。
著作権とか、肖像権とか、あまり大っぴらにはできなさそうな・・・

3月度のヒデキは描いたよ。
次は4月度のヒデキだよ。
やっぱり並べて見てみたいね。
下手は下手なりに、笑いたいから。

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